大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和63年(行ウ)46号 判決

原告

羽田敬弥

右訴訟代理人弁護士

藤森洋

被告

社会保険庁長官小林功典

右指定代理人

古谷和彦

沖上照

黒瀬俊和

佐々木康幸

澤隆彦

堀江裕

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和六一年二月六日付けで原告に対してした船員保険法による老齢年金を支給しない旨の処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、別紙(略)記載のとおり、船員保険及び厚生年金保険の被保険者資格を有していた者であるが、昭和一八年五月一七日から昭和二一年一一月二九日までの間における船員保険の被保険者期間三五か月(以下「本件期間」という。)には戦時加算八か月が含まれているので、厚生年金保険及び船員保険交渉法(昭和二九年法律第一一七号。昭和六〇年法律第三四号(同年四月一日施行)により廃止。以下「交渉法」という。)附則九項本文により船員保険の任意継続被保険者であったことがある者とみなされ、交渉法二条三項、四条一項により船員保険法による老齢年金が支給されることになるとして、同年六月二八日、被告に対し、船員保険法(昭和六〇年法律第三四号による改正前のもの。以下、特に断らない限り同じ。)による老齢年金の裁定請求(以下「本件請求」という。)をした。

2  被告は、本件請求に対し、昭和六一年二月六日付けで、原告には本件期間について船員保険法による脱退手当金が支給されているため、右期間には交渉法附則九項ただし書により同項本文の適用がないので、交渉法二条三項、四条一項により船員保険法による老齢年金の支給がされる場合ではないとして、右老齢年金は支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)をするとともに、本件請求を厚生年金保険法(昭和六〇年法律第三四号)による改正前のもの。以下、特に断らない限り同じ。)による老齢年金の裁定請求に振り替え、交渉法二条一項、二項により本件期間を除くその余の被保険者期間に対し、厚生年金保険法による老齢年金を支給する旨の裁定をした。

3  原告は、昭和六一年五月一〇日、本件処分について東京都社会保険審査官に審査請求をしたが、同年七月一五日付けで右審査請求を棄却する旨の決定を受け、さらに、同年七月一八日、社会保険審査会に再審査請求をしたが、昭和六三年一月三〇日付けで右再審査請求を棄却する裁決を受け、同年二月二〇日ころ、裁決書謄本の送達を受けた。

4  しかし、原告は、本件期間について船員保険法による脱退手当金の支給を受けていないから、これを前提とする本件処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1、2の事実は認め、同3は、裁決書謄本が原告主張のころ原告に送達されたことは知らず、その余の事実は認め、同4は争う。

三  被告の主張

1  昭和二一年当時の船員保険法四七条の三(昭和二二年法律第一〇三号による改正前のもの。以下同じ。)は、「六月以上三年未満被保険者タリシ者ガ職務外ノ事由ニ因リ死亡シタルトキ其ノ他命令ヲ以テ定ムル場合ニ於テハ第四十六条一項ノ規定ニ拘ラズ勅令ノ定ムル所ニ依リ脱退手当金ヲ支給ス」と規定し、右の勅令である船員保険法施行令(昭和一五年勅令第六六号。以下同じ。)二八条の三は、「六月以上三年未満被保険者タリシ者ガ職務上ノ事由以外ノ事由ニ因リ死亡シタルトキ又ハ左ノ各号ノ一に該当スル場合に於テハ船員保険法第四十七条ノ三ノ規定ニ依リ平均標準報酬日額ニ別表第四ニ定ムル日数ヲ乗ジテ得タル額ノ脱退手当金ヲ支給ス」と規告し、その四号は、「前各号ニ掲グル場合ヲ除クノ外厚生大臣ノ定ムル場合」と規定しており、さらに、右四号の事由として、昭和二一年七月厚生省告示第五二号(以下「本件告示」という。)は、「被保険者が、徴用解除に因りその資格を喪失したとき」と定めていた。

2  原告は、日本郵船株式会社(以下「日本郵船」という。)に雇用されていた船員であったが、昭和一九年七月一〇日ころ徴用を受け、昭和二一年一一月二八日に徴用解除になり、翌二九日に船員保険の被保険者資格を喪失した者であるところ、それまでの被保険者期間は戦時加算を含めた三五か月(本件期間)であるから、船員保険法四七条の三、船員保険法施行令二八条の三第四号及び本件告示により脱退手当金の支給を受け得る者に該当していた。

3  原告又は原告から委任を受けた日本郵船は、昭和二三年五月二四日ころ、脱退手当金の支給請求をし、同年九月一日付けで、本件期間を計算の基礎とした脱退手当金二四三円五〇銭(原告の平均標準報酬日額である四円八七銭に、船員保険法施行令別表四(昭和二〇年勅令第一八一号による改正後のもの)に定める右金額に乗ずべき日数である五〇日を乗じたもの。以下「本件脱退手当金」という。)の支給決定があり、同年一一月一六日付けで、国庫金の支出手続の定めに基づき、右請求において支払場所として指定された原告の住所地である静岡県伊豆修善寺熊坂の最寄りに所在する修善寺郵便局に本件脱退手当金が送金されるとともに、原告宛に国庫金送金通知書が送付され、もって原告に対し本件脱退手当金が支給された。仮に、原告が修善寺郵便局に送金された本件脱退手当金を受領しておらず、国庫金送金通知書が返戻されたとしても、その後の昭和二四年一月一三日ころされた再度の脱退手当金支給請求に基づき、支払場所変更手続を経て、原告に対し本件脱退手当金が支給されているはずである。

4  以上のとおり、原告は、本件期間を計算の基礎とする脱退手当金の支給を受けているため、交渉法附則九項ただし書により同項本文の適用はないので、交渉法附則九項本文、同法二条三項、四条一項により準用になる同法三条一項によって支給されることになる船員保険法による老齢年金の支給を受けることはできず、したがって、これと同旨の本件処分は適法である。なお、原告は、交渉法二条一項により本件期間を除く被保険者期間について厚生年金保険法による老齢年金の受給資格がある(昭和三一年九月二六日から昭和三二年六月一日までの間の船員保険の被保険者期間は、交渉法二条一項、二項の規定により厚生年金保険の被保険者期間とみなされ、他の厚生年金保険の被保険者期間に合算される。)ので、被告は、本件処分をするとともに、本件請求を厚生年金保険法による老齢年金の裁定請求に振り替え、同年金を支給する旨の裁定をした。

四  被告の主張に対する認否及び反論

1  被告の主張1の事実は認める。

2  同2は、原告が日本郵船に雇用されていた船員であったこと、原告の昭和二一年一一月二九日までの船員保険の被保険者期間が戦時加算を含めて三五か月であることは認め、その余の事実は否認する。

3  同3の事実は否認する。

原告は、昭和一九年四月、乗船していた輸送船山形丸が米軍の攻撃を受けた際に負傷し、マニラ陸軍病院に収収され、昭和二〇年八月に米軍の捕慮となった後、昭和二二年一月八日に佐世保港に引き上げて帰国し、同月一五日ころ、その当時兄の羽田正直が居住していた神戸市長田区寺池町(番地略)に身を寄せ、それ以後昭和二五年一〇月まで同所に居住していたもので、その間、脱退手当金の支給請求をしたことはなく、したがって、本件脱退手当金を受領したこともない。なお、被告が本件脱退手当金を送付したと主張する修善寺郵便局近辺には、父の織之助が居住していたことはあるが、原告が居住したことはなく、原告が同郵便局において本件脱退手当金を受領することはあり得ない。

4  同4は、被告が本件処分をするとともに、本件請求を厚生年金保険法による老齢年金の裁定請求に振り替え、同年金を支給する旨の裁定をしたことは認め、その余は争う。

第三証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する(略)。

理由

一  請求原因1ないし3の事実(ただし、裁決書謄本の送達日を除く。)は当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、昭和六三年二月二〇日ころ裁決書謄本が原告に送達されたことが認められる。

二  原告は、本件期間を基礎として計算された本件脱退手当金の支給を受けていないから、原告は本件期間を含めて船員保険法による老齢年金の支給を受ける資格を有する旨主張し、他方、被告は、原告が本件期間を基礎として計算された本件脱退手当金の支給を受けているので、原告は本件期間を除く被保険者期間について厚生年金保険法による老齢年金の支給を受けられるだけである旨主張する。

本件請求当時における船員保険及び厚生年金保険の両方の被保険者期間を有する者の老齢年金の支給に関する規定を定めた交渉法によれば、本件期間が老齢年金の対象となる被保険者期間に含まれる場合は、本件期間には戦時加算が含まれているので、同法附則九項本文により船員保険の任意継続被保険者であったことがある者とみなされることから、原告の被保険者期間に対する老齢年金の支給においては、船員保険の被保険者であった者が厚生年金保険の被保険者となった場合の被保険者期間の合算に関する同法二条一項、二項の規定の適用を受けず(同法二条三項)、同法四条一項により準用される同法三条一項により、厚生年金保険の被保険者であった期間が船員保険の被保険者であった期間とみなされ、同法四条二項により準用される同法三条二項により、右期間に四分の三を乗じて得た期間が船員保険の被保険者期間に合算されて、船員保険法による老齢年金が支給されることになる。他方、本件期間を基礎として計算された脱退手当金が支給されている場合は、本件期間は交渉法附則九条ただし書により、原則に戻って同法二条一項、二項の規定が適用になり、同法二条一項ただし書により支給を受けた脱退手当金の計算の基礎となった期間を除いた船員保険の被保険者であった期間が厚生年金保険の第三種被保険者であった期間とみなされ、右期間を三分の四倍して得た期間が厚生年金保険の被保険者期間に合算されて、厚生年金保険法による老齢年金が支給されることになる。

要するに、本件脱退手当金の支給の有無が本訴における唯一の争点である。

三1  原告が戦時中日本郵船に雇用されていた船員であったことは当事者間に争いがなく、右事実と弁論の全趣旨により成立を認め得る(証拠略)に「徴用解除」との記載があることを総合すると、原告は、戦時中船員として徴用を受けたものと推認できる。

原告は、その本人尋問(第一回)において、戦時中に徴用を受けた覚えはないと供述するが、徴用自体が戦時中という混乱した時期に行なわれたものであることに鑑みると、右供述のみによって右推認を覆すには足りない。

2(一)  被徴用船員の解雇、退職については、船員動員令(昭和二〇年勅令第二二号)附則により戦時海運管理令(昭和一七年勅令第二三五号)二三条が削除されるまでは、同条において「被徴用船員ノ解雇及退職ハ命令ノ定ムル所ニ依リ逓信大臣ノ認可を受クルニ非ザレバ之ヲ為スコトヲ得ズ」と定められ(ただし、昭和一八年勅令第八五六号「運輸通信省ノ設置等ニ伴フ昭和十六年勅令第千百五十五号高等商船学校名誉教授ニ関スル件外七十九勅令中改正等ノ件」五条により、右の「逓信大臣」は「運輸通信大臣」に改められた。)、同条が削除された後は、右船員動員令四条で「徴用及徴用ノ解除ハ運輸通信大臣之ヲ行フ」、同令一〇条二項で「鷹徴船員ノ配置セラレタル船舶ノ属スル船舶所有者應徴船員ガ疾病其ノ他ノ事由ニ因リ職務ニ従事スルニ適セズト認ムルトキ又ハ其ノ者ノ配置ヲ必要トセザルニ至リタルトキハ遅滞ナク運輸通信大臣ニ徴用ノ解除ヲ請求又ハ申請スベシ」と定められており、右の船員動員令の各規定は国家総動員法及ビ戦時緊急措置法ヲ廃止スル法律(昭和二〇年法律第四四号。昭和二一年四月一日施行)附則二項及び船員動員令等ノ効力延長ニ関スル件(昭和二一年勅令第四五二号)により、昭和二二年三月三一日までその効力を有するものとされていた。

原告は、右1によれば被徴用船員であったから、その徴用解除については右戦時海運管理令及び船員動員令で定める徴用に関する規定の適用を受けるものと解される。

(二)  (証拠略)の各原告の氏名とを対照とすると、その筆跡は同一であることが肯認されるので、真正に成立したものと推定される(証拠略)によれば、原告は昭和二一年一〇月一九日付けで日本郵船に対し退職願いを提出していること、(証拠略)は(証拠略)と同様に日本郵船が保管している原告に係る船員配乗記録であるが、同記録には昭和二〇年一一月二八日付けで徴用解除及び退職の記載があることが認められ、右の記載のうち昭和二〇年とある部分は、(証拠略)に記録されている原告の乗船状況に関する事項に照らすと、昭和二一年の誤記であると認められる。そして、以上の事実と徴用解除に関する前記法令の各規定を総合すると、原告は、昭和二一年一〇月一九日ころ提出した退職願いに基づき、日本郵船から運輸通信大臣に対し徴用解除の申請がされ、同年一一月二八日に同大臣により徴用解除がされ、また、同日、日本郵船においても退職になったものと推認することができる。

(三)  これに対し、原告は、その本人尋問(第一、二回)において、原告は、乗船していた山形丸が昭和一九年四月に米軍の攻撃を受けて沈没した際に負傷してマニラの陸軍病院に入院し、その後昭和二〇年八月ころ米軍の捕虜になり、昭和二二年一月八日、LST(ザ・リバティー・シップ・オブ・トランスポーテーション)という名の船でマニラから佐世保港に引き上げてきたのであり、それまでは日本に帰国しておらず、また、それまでも、その後も日本郵船に対し全く連絡をとっていないのであって、原告が右退職願いをその作成日付のころ作成して日本郵船に提出したことはなく、また、そのようなことはあり得ないと供述し、(証拠略)の昭和二二年二月一日付けで作成された兵庫県発行の帰還(復員)証明書には「昭和二二年一月八日佐世保港上陸」との記載がある。

右原告の供述のうち、原告が乗船していた山形丸が昭和一九年四月に米軍の攻撃を受け、原告が負傷したことについては原本の存在及びその(証拠略)の日本郵船戦時船史資料集下巻に記載されている事実と符合するが、その他の点については、原告の供述以外に客観的に確認し得る資料として(証拠略)以外にないところ、(証拠略)については、弁論の全趣旨により原本の存在及びその成立の真正を認め得る(証拠略)の厚生省引揚援護局で作成された引揚者名簿台帳及び弁論の全趣旨により成立を認め得る(証拠略)の右台帳の抜粋によれば、右同日及びその前後にマニラから佐世保港に入港した引揚船はなく、またLSTという名の船の入港もないことが認められること、原告は、その本人尋問(第二回)において、(証拠略)は原告が佐世保港に上陸した際に厚生省復員局世話課で作成してもらった復員証明書に基づいて作成されたものであると説明するものの、右復員証明書は同号証を作成した時に破棄されたと供述し、右復員証明書なるものの存在については原告の供述以外に確認するに足りる客観的な資料がないことからすると、(証拠略)中の上陸日の記載の正確性には疑問が持たれるものであり、同号証の右記載に信を置けないとなると、結局、原告の帰国日あるいは退職願いの提出に関する原告の供述も信用することができず、他に前記推認を覆すに足りる証拠はない。

3  以上によれば、原告は、昭和二一年一一月二八日、退職を理由として徴用解除を受け、船員保険法一九条(昭和二二年法律第一〇三号による改正前のもの)の規定すなわち「被保険者ハ死亡シタル日、船員トシテ船舶所有者ニ使用セラレザルニ至リタル日ハ第十七条各号ノ一ニ至リタル日ノ翌日ヨリ基ノ資格ヲ喪失ス」により同月二九日に船員保険の被保険者資格を喪失した者と認められるところ、右の資格喪失日までの原告の船員保険の被保険者期間は前記一で述べたとおり三五か月であるから、原告は、船員保険法四七条の三による脱退手当金の支給を受け得る者に該当していたことになる。

四1  原本の存在及び成立に争いのない(証拠略)によれば、同号証は、戦時における海運事業の統制を行うための経営をする目的で日本船舶の所有者等により組織された団体である船舶運営会の船員保険課が船員保険の脱退手当金支給請求手続に関する事務の手続に関する事務の受付、連絡、提出に関する事務を記録した帳簿(以下「本件帳簿」という。)であり、その後日本郵船に保管されていたものであるが、これには、原告に係る脱退手当金の支給請求手続の事務を昭和二三年五月二四日付けで受け付けた旨の記載及びその際の原告の住所が「静岡県伊豆修繕寺町熊坂町」である旨の記載があることが認められる。

2  弁論の全趣旨並びに(証拠略)によれば、同号証は、被告に備え付けられていた原告に係る船員保険被保険者台帳(以下「本件台帳」という。)を撮影したマイクロフイルムを現像したものであるが、これには、昭和二三年九月一日付けで、昭和一八年五月一七日から昭和二一年一一月二九日までの間の原告の被保険者期間合計二年一一か月(戦時加算八か月を含む。)について、本件台帳に記載されている原告の標準報酬月額に基づき算出される平均報酬日額四円八七銭に、船員保険法施行令別表第四(昭和二〇年勅令第一八一号による改正後のもの)に定める被保険者であった期間が二年以上三年未満の者について乗ずべき日数五〇日を乗じた脱退手当金二四三円五〇銭の支給決定をした旨の記載及びその直下に括弧書きで「徴解」と記載されていることが認められる。

3  弁論の全趣旨によれば、脱退手当金の支給方法は、受領権者が日本銀行(本店のほかに支店及び代理店を含む。)の所在地と同一の市町村に住所を有する場合には、支出官(会計法二四条)の属する行政機関の窓口で日本銀行を支払人とする小切手を直接交付して行われ、受領権者が日本銀行の所在する市町村以外の地域に住所を有している場合には、支出官は支払場所(郵便局)を指定して小切手を日本銀行に交付し、日本銀行を通じて脱退手当金を支払場所へ送金する一方、受領権者に対して国庫金送金通知書を送付し、受領権者は右通知書を指定された支払場所に提示して脱退手当金の支払を受けるという方法であったことが認められるところ、右事実に(証拠略)を総合すれば、昭和二三年一一月一六日付けで、支出官から日本銀行に対し、原告に対して支払うべき本件脱退手当金と同額の二四三円五〇銭を修善寺郵便局払いと指定して小切手が交付されていることが認められる。

4  原告は、右三で述べたとおり、船員保険法による脱退手当金の支給を受け得る者に該当しているところ、右1ないし3のとおり、原告について脱退手当金の支給請求手続が行われたことを窺わせる記載のある記録が残っており、さらに、原告の船員保険に係る原簿である本件台帳に原告に対する本件脱退手当金の支給を決定した旨の記載があって、これを符合する脱退手当金の支給手続がとられている事実が認められ、その間の時間的経過にも不自然なところはないことからすると、反証のない限り、原告に対して本件脱退手当金が支払われたものと認定するのが相当である。

5  原告は、脱退手当金の支給請求をしたことはなく、また、原告の住所地とされ、かつ、本件脱退手当金の支払場所とされている修善寺町には居住したことがないので、同所ににおいて本件脱退手当金を受領することはあり得ないと主張し、同本人尋問(第一回)でも右主張に沿う供述をする。

しかし、原告の作成によるものと認められる(証拠略)の退職願いでは原告の住所地は「静岡県田方郡修善寺町熊坂町湯道」となっていること、また、(証拠略)によれば、原告は日本郵船に対し、父親の羽田織之助を留守宅担当者として届け出ていたことが認められるところ、(証拠略)によれば、織之助は昭和二二年ころから昭和二五年ころまで、同郡修善寺町熊坂(番地略)に居住していたこと、原告は昭和二二年ころ、織之助の紹介により修善寺町に疎開していた前妻の伊郷敏子と同郡大仁町で見合いをしていることが認められ、修善寺町が原告に無縁な土地ではないことが窺われるのである。

ところで、成立に争いのない(証拠略)によれば、原告は、本件処分に対する審査請求の審理手続においては修善寺町とは全く無縁であると主張していたことが認められ、また、本訴においても、平成元年七月一〇日の第九回口頭弁論期日で主張を変更するまでは同様の主張を維持しており、しかも、この主張の変更はその直前の同年五月二二日の第八回口頭弁論期日に被告から同日付け準備書面及び(証拠略)が提出され、織之助が修善寺町に居住していたこと等の主張、立証がされたことによるものであることは、当裁判所に顕著である。さらに、原告は、復員の前後を通じて日本郵船とは全く連絡をとっておらず、航海中の未払賃金や退職金の請求もしていないとも供述するが、前記三の2の(二)の認定のとおり、復員後原告が作成したと認められる退職願いが日本郵船に提出されていることが認められる。このように、原告自身の主張及び供述と現存する右証拠とに不一致があること、本件脱退手当金の有無が問題となっているのが昭和二三、四年ころのことであって、本訴提起までに約四〇年という年月が経過していること、その当時の社会状況も未だ混乱していたと思われることを併せ考えると、本件脱退手当金に関する原告の記憶の正確さには疑念が抱かれることを否定できず、前記の原告の供述のみでは、右4の認定を覆すには足りない。

6  なお、(証拠略)によれば、本件帳簿には、原告の脱退手金の支給請求に関して、先に認定した昭和二三年五月二四日受付という記載のほかに、受付日を昭和二四年一月一三日付けで、住所を「神戸市長田区寺池町(番地略)」とする記載があることが認められ、(証拠略)及び原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告は、遅くとも昭和二二年中に右の住所地で居住を始めたことが認められるが、右記載がいかなる経緯でされたのかは知る由がなく、右記載のみによっては右4の認定を左右するものではない。

7  その他、右4の認定を覆すに足りる証拠はない。

五  以上によれば、原告は本件期間を計算の基礎とする本件脱退手当金の支給を受けていると認定できるから、前記二で述べたとおり、原告には、船員保険法による老齢年金は支給されず、本件期間を除く被保険者期間に対して、厚生年金保険法による老齢年金が支給されることとなる。

したがって、原告の本件請求に対し船員保険法による老齢年金を支給しないとした本件処分は適法である。

六  よって、原告の本訴請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鈴木康之 裁判官 佐藤道明 裁判官 青野洋士)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例